宮の森の由縁
「宮の森」は、荒井山とそこから登る大倉山と連なる一帯の地名となっております。
皇室ゆかりの地として命名されました。
宮の森の中で、最も高い大倉山の山頂付近は、1972年のオリンピックの舞台になり、
今でも国際大会が行われている大倉山ジャンプ競技場があります。後にスポーツの宮家とも呼ばれた秩父宮殿下が、札幌を訪れた際に、
オリンピック招致をするならば都市とスキー場が近い札幌が向いており、
その為には、競技普及の為にも当時日本に無かった国際規格のジャンプ競技場と迎賓を招く洋館のホテルが必要と尽力し、
できたのが現在もある大倉山ジャンプ競技場と中心地の札幌グランドホテルです。
大倉山ジャンプ競技場は、大倉財閥の大倉喜七郎氏が同財閥の大成建設で造り、
札幌グランドホテルは、三井財閥の北海道炭礦汽船が造り北海道初の洋館ホテル運営を開始しました。これをきっかけに冬のスポーツ競技の普及に大きく繋がり、大倉山ジャンプ競技場は日本のウィンタースポーツのメッカとなりました。
プロスタイル札幌宮の森の裏手、大倉山の下の荒井山山頂は、秩父宮殿下がお越しの際にスキーを楽しまれた場所で、90年以上経った現代まで続く、皇族から優勝者にカップが下賜される宮様スキー国際競技大会発祥の地。
主役のジャンプ競技は大倉山シャンツェで行われたそうです。

皇室ゆかりの地として命名されました。
宮の森の中で、最も高い大倉山の山頂付近は、1972年のオリンピックの舞台になり、
今でも国際大会が行われている大倉山ジャンプ競技場があります。後にスポーツの宮家とも呼ばれた秩父宮殿下が、札幌を訪れた際に、
オリンピック招致をするならば都市とスキー場が近い札幌が向いており、
その為には、競技普及の為にも当時日本に無かった国際規格のジャンプ競技場と迎賓を招く洋館のホテルが必要と尽力し、
できたのが現在もある大倉山ジャンプ競技場と中心地の札幌グランドホテルです。
大倉山ジャンプ競技場は、大倉財閥の大倉喜七郎氏が同財閥の大成建設で造り、
札幌グランドホテルは、三井財閥の北海道炭礦汽船が造り北海道初の洋館ホテル運営を開始しました。これをきっかけに冬のスポーツ競技の普及に大きく繋がり、大倉山ジャンプ競技場は日本のウィンタースポーツのメッカとなりました。
プロスタイル札幌宮の森の裏手、大倉山の下の荒井山山頂は、秩父宮殿下がお越しの際にスキーを楽しまれた場所で、90年以上経った現代まで続く、皇族から優勝者にカップが下賜される宮様スキー国際競技大会発祥の地。
主役のジャンプ競技は大倉山シャンツェで行われたそうです。


荒井山中腹の宮の森分譲地
もともとは北海道神宮の敷地の一部で、政界、財界、文学界など各界の著名人の方の為に100~300坪のゆったりとした区画で開発されたのをきっかけに、その後発展していきました。

もともとは北海道神宮の敷地の一部で、政界、財界、文学界など各界の著名人の方の為に100~300坪のゆったりとした区画で開発されたのをきっかけに、その後発展していきました。







円山と三角山に挟まれたなだらかな丘陵の住宅地は、街の至る所に緑が残され、美術館、北海道神宮、宮の森緑地が配置されており、
閑静な住宅街の資質に富みます。
例えるなら高台の邸宅街、横浜山手、渋谷区松濤、兵庫芦屋。
現地は、この住宅地の最も高いところに位置しており、札幌の街が一望できます。



行政、商業、観光が集約する札幌の都心部や札幌駅、スキー場までも車で10分〜15分程度ながら、
街中の喧騒を全く感じない特別なエリア、綺麗な空気と上質な住環境を誇る札幌の邸宅街です。
街中の喧騒を全く感じない特別なエリア、綺麗な空気と上質な住環境を誇る札幌の邸宅街です。
分譲後の周辺には様々なレストランができるようになり、現在の宮の森エリア周辺は、
ミシュランに掲載されているレストランの1/4以上の24件が掲載されるほど、
人気のレストランが多く集まるグルメエリアとしても良く知られています。
2022年グッドデザイン受賞
世界的な建築家・隈研吾氏が札幌宮の森で手掛けたレジデンス
資料請求はHPからお待ちしております。
世界的な建築家・隈研吾氏が札幌宮の森で手掛けたレジデンス
資料請求はHPからお待ちしております。